レストランのコワイ話

これはまた聞きの話なので、かるーく眉に唾をつけてお読みください。



とあるレストランでの出来事である。
1歳くらいの子供を連れた客が食事中、まだまだ分別どころか思ったことはすぐ実行する年であるその子供が自分用に用意してもらった取り皿を投げて割ってしまった。そこで子供の母親が別の皿を店員に頼んだ。

「新しい皿をください」とだけ言って。





が、小さな店内でそれを聞いていた店主は、そこに何の謝罪の言葉も含まれなかったことに激怒したらしい。

別の取り皿を出すのを断ったそうだ。




それに今度は母親が怒ったのだろうか。
彼女が取った行動は、自分の料理を取り皿でなくテーブルに直接置く、という勇気あるものだった。皿を投げることが悪いと知らない子供が、テーブルに載せられた食べ物を食べることに抵抗があるはずもない。子供は手づかみでテーブルからヌードルを食べていたらしい。




食事が終わって支払いの際、店主が「今日の食事は不愉快で満足ではなかっただろうから、代金は要らない」と言うと、その客はその通り支払わずに帰ったそう。





以上なのだが、同じ接客業を営み、やはり子供の母親である私としては、どっちもどっちといおうか、いや、両方の気持ちもわからんでもないが、何より「うわ~っ、そこまでするんだ!」という驚きが一番である。もちろん両者に対して。この話をしてくれた人には思わず「コブラ対マングースっていうの?」と言ってしまい、死後を口走ったかと内心冷や汗をかいてしまったのだが(幸い相手も「そうそう!」と乗ってくれたが)。



ちなみに、隠したところでこの対決は日本人同士である。そしてもちろんネパールの話である。
よくよく聞いてみれば、客は親子三代で来ており、祖母と思われる人は何も言わず黙っていたということで、私に話をしてくれた人はそのことにも驚いていた。つまりある程度年齢が上の人、特に女性ならば、途中で諌めるなり取り成すなりするだろうに、ということである。




しかし、この話もここがネパールだからの話で、客の言葉が足りなかったことを除き、どの段階でもこれが日本だったらこうはならないのでは、と思った。
まず、客に多少(上の話が事実ならば、「随分」だと思うけど)礼儀が欠けていたからと言って、皿も出さない店はないだろうと思う。



少し前に「目当てのラーメン屋に行ったら休みだった」ことに怒ったラーメン評論家とやらが、その不満をツイートし、それに対して定休日は公表されていたはずとか、その後の評論家のツイートが矛盾しているとか取り繕っていると騒いでいたが、何より相手のラーメン屋店主が平身低頭で謝罪のリツイートし、「これから定休日をなくすよう努力いたします」と言っていたことが印象的だった。「店休の案内が分かり難く(もしくは間違っており)ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ございませんでした」じゃないんだ、と。


そこまで日本は客を立てるんだなあ、と思うとうっすらと怖くもなった。


昔は頑固オヤジのラーメン屋など特にカウンターだけの店は、客としての礼儀をきちんと守らないと客だろうがかまわず怒られるからと、ちょっとだけ緊張しながら行ったものである。今も日本にそんな店はあるんだろうか。




が、このアブナイ菌だらけのネパールで、どんな雑巾で拭いたかわからないレストランのテーブルの上に置いたものを、しかも一番菌に抵抗力がなさそうな1~2歳の我が子に食べさせる母親も日本にはいないだろうと思う。こんな大人気なく筋違いな方法で店主に抗議したところで、自分にとって何の得もない。法定伝染病の菌がうようよいるネパールで、一つ間違えば子供の命にかかわらないとも限らないのに、もしそれで子供が病気になったら「アンタが皿を出さなかったから」と訴えるつもりだったのだろうか。これが人目を気にしないで済むネパールだから出来る愚挙であって、日本でまさかレストランのテーブルを子供の皿代わりにしないでしょう?



と、書いたところで、にわかに思いなおしてきてしまった。今の日本ならこんな人もいるのかも?
友人に上の話を聞いて、他の同席者とともに「イマドキのお母さんはすごいね~」という定型の理由結論付けとなったのだが、「イマドキ」に「旅の恥はかき捨て」のスパイスを振りかけなくても、充分上の結末は訪れるのかもしれない。






が、そんな平成の「イマドキ」のみなさん。
ネパールには上記レストランのような昭和の頑固マスター/ママがまだまだたくさん棲息しています。レストランだけとは限らないのでご注意あれ。
なお、某旅行代理店ママはへなちょこ弱虫野郎なので心配無用です。たぶん。
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# by noz-tr | 2013-07-23 21:52

ダルバートは嫌いということにしておこう

私はネパール一付き合いが悪い日本人という自信があります。

ちょっと親しくなるとよく家での食事に招待されるのですが、まず行かない。
たとえば、お客様から「ネパールのお宅に招待されたけど、言葉も出来ないので一緒に来てほしい!」というリクエストが来たとか、どうしても断れなさそうな知人の結婚式やら成人式とか、それでも後者には「気が向けば」という条件が付くので、私のこれまでのネパールお呼ばれ参加回数は、ひょっとしたらひと桁にとどまるかもしれません。



ところが先日、なりゆきと私のちょっとした打算があって、久々にディナーに呼ばれていくことになりました。

呼んでくださった人は知り合ったばかりなのですが、その短い間に聞いた話から察するにお金持ちらしい。もともと王族と縁つながりで、という由緒正しき系ではなく、おそらく彼自身の努力で今の財の殆どをなしたのだろうな、というタイプ。タメルに小さなアパートタイプのホテルを持っているのでその一室を使い、総勢10人ほどのディナーでした。

みんなホスト同様にやり手のビジネスマン風な人が集まる中、話題はやはりお金と商売なわけですが、とりあえず私以外にもいた外国人と、話すより食べることに集中するフリ。だって、まだバブルが消えないネパールで景気よくやってる人たちに私から言えることなんて何にもありませんから。
ホストの奥さんも料理を作ってくれたそうなので、奥さん相手に料理の話をしていれば充分楽しい時間が過ごせます。



デザートになった頃のこと。
ホストが少し離れて座っていた奥さんとネパール人女性のゲストに何か小さいものを投げて渡しました。
それを受け取ってしげしげと眺めたゲストが一言、「これ本物のダイヤよ」と言ってその指輪をホストに返しました。ホストは指輪を指に戻し、同じ腕のブレスレットを照れくさそうにさすりながら、

「僕はこういうのするのっていやなんだけどねぇ。カトマンズもいろいろあるでしょ。でも、家内が付けろって」

すると周りのネパール人のゲストたちが、

「でも、あなたは充分働いたしね。そのくらいは持ってもいいんじゃないの?」

「そうそう。そろそろ働くばかりじゃなくて、自分に使ってもいいよ」


そして、「ダイヤ鑑定した女性」が、

「そうよ~。もう、(それなりの財産ができたのだから)、(美味しいものを)食べなきゃいけないし、(良いものを)着なきゃならないし、楽しまなきゃいけないし、」



「周りに見せなきゃいけないわよね」




えーっ??何を??誰に?

お金が有っても、それを他人に見せびらかすのは美しくなく、むしろ品のない行為だという価値観の日本人の私にとっては、かなり驚きの発言でした。もちろん私に向かって言った言葉でなかったからまだ良かったけど、目を見てこんなこと言われたら、つましい暮らしをする庶民の私は固まってしまったかも。



その女性は、色白でノーブルな顔立ち、風船のような体に、指の幅の1.5倍はありそうな大きな石のリングをはめた、30m先からでもカーストが高く裕福だとわかる人でした。そう、あなたは実行してるよね。



でも、それが社会的にも経済的にも上の階層に生まれて、そのように育てられた人の存在を保証する意義なのかもしれません。上か下かなんて相対的なグループ分けなのですから、下には下にいてもらわないと、上の人は優位にいられないのは誰でもわかること。

人の権利は平等だと思う。が、世の中の利益はみんなに公平になんて回らないという事実をしゃあしゃあと言って、そしてやってのける社会を後進国と呼ぶのは、ただの世間知らずじゃないんだろうか。



とにかく、つんと顎を上げて「ワタシはこんなにお金持ちよ。アナタは?」を堂々と体現している人の隣に座って、圧倒されてしまったのは間違いありません。これまで会った若いモンらは、「宗教もカーストも関係ないさ!みんな平等だよ」とのたまい、共産主義かフラワーチルドレンか、どっちにしてもうそくさいんだよ、思ったものだけど、それに比べればあっぱれの一言です。でも、どの国だってそれが人の本音で、それを前面に出して回る世界もあるのではないでしょうか。



などと、もぞもぞ考えながら食べたデザートのフルーツヨーグルトは、生ぬるい上に甘過ぎて美味しくありませんでした。
私が目論んでいたしょぼい打算は無事目的を達成し、ダイエット中にもかかわらず礼儀上お変わりまでした高カロリーダルバート+ぬるいコーラのわんこそば状態のおかげで体重も増え、「金輪際ネパールのお呼ばれには行かない」と改めて思ったワタシは、やっぱり謙譲が美徳の日本人です。
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# by noz-tr | 2013-06-28 21:23

買い物三昧~2

カトマンズは今マンゴーの最盛期です。
ジューシーで甘いマンゴーが1kg100円足らずで買えるという幸せ。「ネパールに住んでてよかった!!」と心の底から思える短い時期です。


なので、自転車でマンゴーを売り歩いているのを見かけると、すかさず「好きな種類のマンゴーか」「ふっかけてこなさそうな人か」を見極め、交渉に挑みます。果物屋はぼったくる人が多いため真剣勝負なのです。







さっきもちょっと外出したときにマンゴー売りに遭遇。しかも、私の好きな種類だったので、よーし!とはやる気持ちを隠して、知らん顔しながら通りかかる。買う気があるところ見せたらつけ込まれますからね。


と、案の定向こうから声をかけてきた。ここはガイジンの利点、いい商売になると思って声をかけてくる売り子が殆どです。でも、そこでにこりともせず無愛想にネパール語で「いくら?」と尋ねる。


「90(キロ90ルピー)」





ちょっと高いこと言ってきましたね。まだ時間も早いし、たくさん積んでるから強気。
ついこの間、夜帰ろうとしているベンダーがわずかに残ったマンゴーを、最初っから「60でいいよ」とお疲れの声で言ってたことを思い出すと、落とし所は70ルピーあたりかな。



でも、90でちょっと高めなので、「いいわ」と立ち去ろうとすると、「じゃ、いくらなの」とちゃんと引き止めてくれる。振り返って「60」と言うと、向こうも手招きしつつ、マンゴーを入れる袋を用意しながら「80」。




80じゃ買わないよ~。とまた背中を向けると、「いらっしゃい」とまだ手招きし続ける。戻って「60でしょ?」と覗き込むと、目を落としながら「他の人にもみんな70だし・・・」。っていうことは、さっきの90はどういうことよ?




「じゃあいい」と再度踵を返すと、「いいよいいよ、こっち来て」と苦笑いするおじさん。

「60だよね?」

「60でいいよ・・・」

やった!じゃ、2キロ買っちゃおう!


自転車の果物売りは、上からぶら下げるタイプの天秤量りで量るのですが、2キロはたいてい一度に量れます。このおじさんも1キロの大きな分銅を片方の皿に乗せ、もう一つは石を乗せおった!

「これ1キロの石ね~」

と笑うおじさん。く~、落とし穴はこれかぁ。
でも、そこをつっこんでも、分銅に細工してるとか、天秤に細工してるという話も聞くし、もういいや。そんなに大きく違わないだろうし。



大体の量を入れて、天秤を持ちあげて計量。ここで最終の調整をするのですが(1キロなら1キロちょうどになるようにする)、この天秤の持ち上げ方で誤魔化すのも常套手段。
やはり、まだ天秤が大きく揺れてるのに、「マンゴー側が大きく下がった」ポイントで追加で乗せようとしたマンゴーを止めたから、すかさず私も待った!

「ちゃんと量ってよ~」とやり直しさせて、マンゴーが一個追加。あぶないあぶない。






マンゴーの入った袋を持ってみると、まあ大体2kgくらいかな、という感触。自宅の近くだったので置きに行こうとすると、学校帰りの息子に会いました。


「やった~、マンゴーいっぱい買ったね。どのくらい」

「2kg」

「2kgあるかなあ?」

ええ~、アンタにそんなことが分かるのか?

「じゃ、家帰ったら量ってみようか」

と、量ってみたら。




「1750??って、これ何?」

「1750グラムって、やっぱりマンゴー2個くらい足りなかったね」

「1000グラムが1キロってこと?」

ちょっと待ったっ!グラムとキログラムの換算はとっくに学校で習ってるでしょ!?
マンゴーが少なかったことより、キミのその発言の方がショックだわ。




その場は息子の数学力のなさに打ちのめされ、しばらく経ってからよく考えてみたのですが、
最後の一個のマンゴーを追加してなければ1.5kgくらいしかなかったということ。私が払ったのは60ルピー×2kgで120ルピー、でも120÷1.5kg=80で、おじさんの言い値通りとなってたわけです。

うーん、負けだわ~。
ついでにおじさんの爪のアカでも息子にもらっておこうかな。
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# by noz-tr | 2013-06-21 18:28

休日の徒然

今日、休日の朝っぱらからバスルームの水道が壊れた。


洗面台の下に水の元栓が出ているのだが、そこから蛇口までのつなぎのネジが何かの拍子にゆるんだようで、あらぬところに噴水が出来ていた。すぐに気が付いたしそこにある元栓を閉めればいいので大事には至らずに済んだ。


が、いくら神々の国ネパールでも水道に自然治癒力があるわけがないので大家に配管工を呼んでもらったものの、今日は祝日の金曜日、どうせ週明けにしか来ないわ、とタカをくくっていたら、3時間後に大家から配管工が来たと呼び出された。ネパール在住12年の経験からいっても異例の早さである。



直してもらった中での一番のツッコミどころは「正真正銘の手ぶらで来た」くらいである。今回の彼のワークチャージは、ツールの減価償却すら加味されない純粋に労働対価。約20分の修理に彼が請求した額は、




Rs.100(約110円)だった。




実は1年位前も同じ修理を別の配管工がしてくれたことがあって、その時はRs.70かRs.80 だった気がする。去年も電気工に電気が付かなくなったスイッチの修理と天井の電球の取り換えをいくつかしてもらって、約1時間汗だくになって手をまっ黒にしてのチャージはRs.100だった記憶がある。


Rs.100は安食堂でネパールの定食がぎりぎり食べられるか、というところだろう。ガソリンは1Lには少しい足りないが、卵が10個買える金額だ。普通のお米なら2kgくらい、野菜は旬のものなら1kgくらいたっぷり買える。

そんな額が、こうした技能工のワークチャージとしていいのか?と、いつも、言われるととまどうものである。もっと渡そうか、いやでもガイジンの私がそんなことをするのは「ガイジンはくれるもの」というイメージをさらに付けるからよくないかも、でもいくら足せばいいのか?Rs.10やRs.20なんてはしたは失礼なだけかも?と逡巡した挙句、言われた額しか払っていない。




どの人もふらっと歩いてやって来る。
こんな調子で1日に何件の修理をこなすんだろうか。こうした人が特殊技能で、かつ危険だったり汚かったりする労働をこなす人だというところにポイントはないのかなあ、とときどき思う。おそらく宗教的背景も業種間の賃金格差の背景にあるのだが、日本人にはいまひとつピンとこないので、いつもなんとなくもやもやしている。

もやもやしても安いのはありがたいし、「この人正直でいい人なのね~」と妙なところでうれしくなる、小市民で小心な人間である。
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# by noz-tr | 2013-06-10 21:10

2001-06-01

少し前から、「今日って何かの日だっけ」とぼんやり考えながら、ぼんやりと3日が過ぎて忘れかけた今日はたと気が付いた。




12年前の6月1日に当時の国王一家が亡くなる事件があったのだ。


のん気な第一報は、土曜の朝遅くの「昨日の夜王宮辺りで喧嘩があったらしいよ」だった。
正確には、私がそう理解した、のであって、今になって思えばみんな情報収集に躍起になっていたから、「王宮の近辺」でなく、「王宮内」を意味していたのだろう。休みをいいことに、そんなケンカごときの噂でなんだなんだと騒ぐネパール人野次馬ぶりに呆れたのだが、この「王宮」を日本の相当する言葉に置き換えてみれば、確かに事の真相を知りたいと思うのは道理だっただろうとも思う。

が、しばらくして、ネットがまださほど普及していなかったため他国より12時間遅れて自分の国のニュースを知った彼らが私に教えてくれたのは、

「皇太子が国王を殺したんだって」

だった。
ネパール語がさほど堪能ではなかった当時、殺すなどという物騒な単語を使うのは「蚊」ぐらいのもので、思わぬ主語と目的語と述語のつながりが意味するものを理解するのに、何度もその単語を反芻したのを今でもはっきりと思い出せる。「今は21世紀だよね。中世や戦国時代じゃあるまいし・・・」と、にわかに信じられない現実を自分の中でどう咀嚼していいのかわからず、窓の外の薄曇りの空と、それとは対照的な新緑の若葉を呆然と眺めていた。



街に出てみたのは昼過ぎだったろうか。
皆が事件を知ったらしく、次々と店がシャッターを下ろしていた。それでも人々は騒然としていて、まだ判っていない事件の真相を知ろうとし、また国王の死を嘆き悲しんでいた。



ピンとこなかった。
国内のニュースは当てにならないし、ネットで見る国外のニュースもさっぱり要領が得ないことしか書かれていない。何より国王とその家族は全員殺されたらしい、しかも王宮で、という事実は、日本ではおよそ起こり得ないことだったから、CNNを見てもBBCに言われても、本当にそんなことが起こったということをやっぱりまだ納得しきれていなかったのだ。

目立たぬ2階にあったのでネットのニュースを見るためにこっそり開けていた友達のオフィスを出ると夕方だった。まだ明るかったのに、人が歩いていても店は閉まっていると、やはり普通でないので落ち着かない気分になった。気が付けば、道行く人に坊主頭の男の人がかなり見られた。国の父親である国王が亡くなったので喪に服す為に髪を剃ったのだ。

今はいっぱしの政治家を名乗って国を動かしている人々が当時はテロリストと呼ばれていた頃で、国内情勢はお世辞にも良くはなかった。カトマンズで危険な思いをすることはなかったが、地方では内戦状態と言われていたのを否定できない時代だったから、ますますこの国はどこへ向かっていくのか先が見えないなあ、と嘆息しながらぽつぽつ歩いた。


すると、一人だけおばあちゃんが道端でビニールシートとざるを広げて野菜を売っているのが目に入った。多分いつもと同じ場所に同じように来たのだろう。

ああ、そうだった。
男の友人は皆、誰がやったのやらないの、その裏には誰がいるに違いないとか、自分のお父さんが亡くなったのと同じだ、とか今日は喪に服すからご飯は食べない、なんて話しかしていなかった。確かに国の一大事どころではない。でも、悲しくったってご飯は食べなきゃいけないし、家族を食べさせなきゃいけない。きれいごとじゃないんだ、人間は生きていくんだ。

おばあちゃんは強いな、そして真理だな、と思った。



あれから12年経っても、やっぱりネパールの人の強さを見ることが何度もある。
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# by noz-tr | 2013-06-04 23:17